ディプレッションからの大脱走

ディプレッションから逃げている男の日記です。でも、きっと生きていればいいことあるよ♪

SNSは、そもそもコミュニケーションのためにあるものじゃないと思う

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イナホです。

 

今更ですが、Twitterをやってみました。やってみたというより、アカウントを作ってこのブログにつなげただけですが…。

 

ただ、ハッキリ言うと、私はこういうSNSは苦手です。物書きをしようとしている人間にとっては、致命的かもわかりません。

 

もちろんどんなものかは知っていました。ただ、ブログや今後やろうとしている仕事がなければ、たぶん絶対にやらなかったと思います。

 

そんな、まだSNSひよっこのような私が言うのはおこがましいのですが、SNSとコミュニケーションについての記事があったので、思うところを書きます。

 

偉そうなことを書いていますが、私もコミュニケーションに自信があるわけではないですので、そこはおことわりしておきます。

 

SNS疲れをしている若者が多いらしい

SNS関連の話題では、たまに以下のような記事を目にすることがあります。引用は、ちょっと古いものですが、特に若者についての記事です。

 

japan.cnet.com

 

  タイムカレントの「『SNS投稿のリア充疲れ』&『リア充盛り』に関する調査」(2016年3月)によると、Facebookを使用していて「疲れてしまう」「休みたい」もしくは「やめたい」と思ったことがある人は、何と4割を超える43.7%いた。理由の1位は、「他人の『リア充』投稿にうんざりしてしまう」(40.2%)、「タイムラインに入ってくる情報のチェックが追いつかない」(29.4%)、「常にチェックをしていないと不安になる」(24.5%)などとなっていた。

(中略)

 SNSの反応が気になって何度も見てしまったり、反応数を必要以上に気にしてしまう10代の若者は多い。A菜に聞くと、「『SNSの反応なんて意味がない』という意見は聞いたことがある。でも、やっぱり反応があると嬉しいし、もっとほしくて頑張ってしまう」と言っていた。同じように感じる人は多いだろう。

引用URL:https://japan.cnet.com/article/35082102/2/

 

SNSをやっているがために、それに雁字搦めになっている姿が想像できます。そりゃ疲れるだろうと思います。

 

大人になれば、そんなの面倒くせえでも済んじゃいます。そもそも、そんな時間も無くなりますし。

 

でも、高校生くらいだと、SNSで反応しあっていること自体が友達である証左みたいになっていて、それを降りることはすなわち友達を降りる、それまたすなわち友達のいない絶望的な高校生活に繋がる…みたいな脅迫観念というところでしょうか。

 

私なんかは、勉強もしないしまるで何もやる気のない、ハッキリ言って暗い無様な高校時代を過ごしました。当時の同級生も、上っ面だけの付き合いだったし、本当に心底友達と呼べるような人は一人もいませんでした。

 

本当は、友達がいっぱいいて、すなわちみんなに人気があって楽しそうな高校生活が羨ましいなぁなんて、思ってはいたんですけどね。

 

幸い、私の中高生の頃(ほぼ20年前)は、まだこうしたSNSは発達していませんでした。しかし仮にもしそんなものがあって、同級生などのリア充ぶりを存分に見せられたら、「一体、俺は何をしているんだ…」と、余計に自分が無様で絶望的な気分になっていただろうと思います。

 

話は逸れましたが、同記事でSNS疲れを解消するための方法として、以下三点が書かれています。

 

(1)SNSを休む時間を作る

(2)利用時間を決めておく

(3)リアルコミュニケーションを増やす

 

上記は日常の行動面からの解消法ですね。そして、以下「大人たちが更なるアドバイスをしてほしい 」とのことです。

 

 SNSなどのネットコミュニケーションは便利だ。遠い場所に住んでいて、なかなか会えない人とも情報交換ができる。しかし、コミュニケーションをネットに頼りすぎるとひずみが生まれ、苦しくなってしまうことがある。本来、他人の気持ちは見えないが、SNSによって見えるような錯覚を覚えることが問題につながっているのだ。

 子どもたちはコミュニケーションの仕方について学んでいる時期だ。周囲の大人は、彼らがこのような状況に陥っていることを知り、アドバイスしてあげてほしい。

引用URL:https://japan.cnet.com/article/35082102/3/

 

SNSでコミュニケーションがとれるのか?

ここで、やはり「コミュニケーション」の話が登場します。

 

ただ、こうした悩みや疲れは、そもそもSNSでコミュニケーションが出来ると考えてのことなのでしょうか?

 

もしそうだとしたら、それは違うんでないのか?と思います。

 

「リアルコミュニケーション」というのも、このようなお話ではよく出てきます。もちろん、「現実に人と会話する」というような、言わんとしている意味はわかりますが、では「リアルじゃないコミュニケーション」とは一体何なんでしょう?それってそもそも、コミュニケーションと言えるものなんでしょうか??

 

そこで、「コミュニケーション」の意味を調べてみると、これまた色々な定義が出てきます。情報を流すだけでもコミュニケーションだとか、ちゃんと相手と意思疎通ができることがコミュニケーションだとか。

 

ただ、コミュニケーションの辞書的な定義は置いておいても、「相手に自分の意図したことがきちんと伝わっていなければ、コミュニケーションができたことにはならない」とは思います。

 

全く意味不明なことを言われただけでは、その人とコミュニケーションができたことにはならないでしょう。ただ、たとえ最初は全く意味不明でも、やり取りしているうちにだんだん理解が深まり、意図したことも伝わってコミュニケーションができたという形は成立します。

 

たとえ主義主張が全く違う事柄に対して、相手の反応が必ずしも自分の意図した結果ではなかったとしても、お互いを理解をしなければ妥協することすら難しいでしょう(じゃあ、「お互いを理解する」とは何だろうかというと、これまた難しい…)。

 

しかしSNSは、短文や写真だけで、わかる人にはわかるというだけではないでしょうか。それを見ても最初は意味不明だった相手に、どういうことかを理解してもらうこと、つまり、コミュニケーションの成立のために「理解を深める過程」については全く欠いている気がしてなりません。

 

それに、たくさんの人相手に同じ発信をして、一発で全員に意図した通りに伝わるなんてことは、不可能に決まっています。本当に理解してもらいたかったら、ちゃんと一人ひとりに伝えようと努力しなければなりません。

 

例えば、Twitterでよくつぶやいているアメリカのトランプ大統領は、アメリカ国民とコミュニケーションが取れているのでしょうか?むしろ、「アメリカは分断が深まっている」なんて言われています。

 

SNSはコミュニケーションのためにあるものではないし、ただ「情報を発信できるだけ」のものなんじゃないかと思います。

 

それは、せいぜい自分に興味を持ってもらうキッカケくらいにしかならないし、コミュニケーションはそこから先の話じゃないのかなぁと思ったりしました。