ディプレッションからの大脱走

もうサラリーマンはできません

東京から離れている方が、子育てやファミリーには優しいと思う

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シロクマさんの記事を基に、私がまた思うところを書こうと思います。

 

子育てについてですが、私もつい最近親になったばかりで、色々思うところがあるなぁというところです。

 

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

シロクマさんは、かつては田舎で子育てをすることのアドバンテージがあって、それは「自然との触れ合いがあった」「町全体も遊び場だった」ということを挙げられています。

 

しかし、田舎も今では都会の劣化版みたいになってきて、そうしたアドバンテージはもはやなくなってしまったのではないか、ということですね。その理由としては、「契約社会の論理」を挙げられています。

 

この辺の経緯は、ちょっと古いですが以下の本に、戦後の子どもの遊び場が減っていった過程が、実際のデータなども用いて書いてありました。興味がある人は読んでみると、なかなか面白いと思います。

 

子どもとあそび―環境建築家の眼 (岩波新書)

子どもとあそび―環境建築家の眼 (岩波新書)

 

 

遊び場という点では、確かに減ったように思う

私自身の経験で言えば、子どもだったのはかれこれ25~30年ほど前です。埼玉県の真ん中あたりで、周囲には川や田んぼも散らばっている、程よい田舎で育ちました。

 

当時は近くで、ザリガニ釣りやドジョウ取りなどもできましたし、林や藪の中に入って子どもならではの遊びなどもまだできました。他人の家の敷地にも、ガシガシ入っていきましたし。

 

そういう意味では今でいう「田舎っぽい遊び」ができる環境でしたし、また許されてもいたと思います(あまりにも服を汚すので、親にはよく怒られましたが)。

 

ちょっと前に、生まれ育った場所の当たりに行ってみたのですが、私がザリガニ取りをした水の流れは埋め立てられ、遊んでいた雑然とした藪や林は道路の引き直しとともに、無くなるか小さくなってしまいました。

 

私の育った場所が、子どもの遊び場の全てを集約しているわけではないです。ただやっぱり、子どもの遊び場になるような、人の手が入っていない、誰のものだかわからない場所って無くなっているんだなと思い、ちょっと寂しい気持ちにもなりました。

 

ちなみに、この「人の手が入っていない、誰のものだかわからない場所」が、シロクマさんの言う「契約社会の論理」に侵されると、「私有地」として入ってはいけない場所になる、と、私なりに補足すればそのような形だと思います。

 

そして、確かにその通りかなと思います。

 

都市から離れた方が、まだ子育てに優しいと思う

そんな、時の推移と子どもの遊び場について思うところはありますが、また一方で思うところもあります。

 

私は今、新潟市の、中心部から少し離れた住宅地で暮らしていますが、少し前は東京23区の住宅街で暮らしていました。

 

新潟市は、すごい田舎というほどではないですが、東京に比べたらもちろん、田舎です。ただ、今「田舎」と言うと、過疎や人口減少などが大問題になっているところを想像してしまうと思うので、単に「都市から離れたところ」と言った方が正確だと思います。

 

新潟に来て感じたことですが、夕方に公園などで遊んでいる子どもは、ハッキリ言って東京に暮らしていた頃よりは明らかに多いと思います。

 

その他にも、商業施設やイベントなどには子ども用のスペースなどもあり、お子様連れの割合が目に見えて多いと感じますし、ラーメン屋なんかも子どもが一緒に食べられる形の座敷席が設けてあるところが多いです。

 

商業施設やイベントは遊び場とは違いますが、つまりは新潟では、まだ子どもがいることを前提として社会が動いているということです。

 

「動いている」という物言いなのは、子どもの為とか、べつにそういう意図をもっていた結果ではないであろうからです。そうなったのは、主に経済的理由からだと思います。

 

東京より新潟の方が、同じような施設に同じ金額を出すと仮定したら、広いスペースに投資できます。それなら当然、1単位当たりの人数が多いファミリーに出来るだけ来てもらって、また多くのお金を落としてもらう方が儲かる効率は上がります。

 

東京は逆だと思います。狭いスペースだって投資するのにお金がかかりますし、それだったら狭いスペースで一人一人からどれだけ多くのお金を落としてもらえるか、またどれだけ回転よく客をさばいて多くの客を出し入れできるか、という発想ではないでしょうか。

 

そう考えると東京の商業施設では、大人数単位のファミリーでくつろいで団らん、なんていうのは、ハッキリ言って邪魔でしかない場所が多いと思うんです。東京で、評判の良いおいしいラーメン屋に、子ども連れで行くなんてことは、まずほとんど出来ないでしょう。

 

偉そうに語っていますが、あまり大したことは言っていないですね。つまりは、東京は子どもはいないことを前提に、社会が動いているということだと思います。

 

私自身は新潟育ちではないので、新潟自体の過去と比較して遊び場がどうだったかはわからないです。私の育った環境から考えてみたら、新潟でも子どもの遊び場は減ったんではなかろうかと、推測するしかできないです。

 

ただ、同時代的にみると、東京=都市と比べたらまだ新潟=都市から離れたところの方が、家族や子どもということを考えた場合には、やさしい環境だし過ごしやすいとは思います。

 

しかしながら、そのあとの進学先には不都合がある気もしますし、そのあたりはまた別途機会があったら書きたいと思います。

 

都市は、子どもがいない方が都合よく作った?

また、そもそも都市は、「自然や子どもという合理的な働きをしない存在を排除して、合理的になるように人間が頭で設計したもの」というような、養老孟子のような見解もあります。

 

つい最近読んだものですと、以下の本にもそのようなことが書いてあったと思います。

 

遺言。 (新潮新書)

遺言。 (新潮新書)

 

 

だとすると都市の方が、わざと子どもがいない方が都合良くなるように作ったと言えると思います。