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物語の作り方から、オリジナリティを考える(新城カズマの文章から)

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どうも、イナホです。

 

私は読書も趣味なので、読んだ本の感想みたいなものも書いていきます。

 

第一弾は、新城カズマ『物語工学論 キャラクターのつくり方』です。

 

 

本書の概要

なんでこの本を買ったのかというと、世の中に出回っている創作物語はどのようにして作られているのか、文章を書く人間の端くれとして、その辺りの勉強になればと思ったからです。

 

物語は、キャラクターのパターンの組み合わせ

簡単に著者の主張をまとめると、「現代において流通している物語は、以下7パターンのキャラクターの組み合わせによって創作されている」ということです。

 

  1. さまよえる跛行者
  2. 塔の中の姫君
  3. 二つの顔を持つ男
  4. 武装戦闘美女
  5. 時空を超える恋人たち
  6. あぶない賢者
  7. 造物主を亡ぼすもの

 

「組み合わせ」という点で例を挙げれば、映画『ルパン三世・カリオストロの城』のルパン三世は「さまよえる跛行者」、クラリス姫は「塔の中の姫君」です。また、一つのキャラが「あぶない賢者」かつ「造物主を亡ぼすもの」のように考えられる場合もあります。

 

また、物語創作を職業としてやっている人は、こうしたことは既に意識しなくてもできる一方で、「じゃあそれを知らない人たちには、どうやって伝えるか」はまた別問題だから、いっちょそれをやってみようという、著者の試みが本書に表れています。

 

オリジナルって、何!?

しかし、著者のような試みをすれば、どうしてもある問題に突き当たることになります。

 

物語にはパターンがあるということは、そもそも物語を作る人がそうしたパターンに沿って物語を書いたからです。

 

そこで、「じゃあオリジナリティって、何!?」という問題が出てきます。

 

つまり、パターンに沿って書いてある物語は、創作者のオリジナルの物語だと言えるのかということです。

 

これに対して著者は、「現代では社会のすべてに無から有を生み出すオリジナリティ信仰が浸透している一方で、それが最良のもので、今後も永遠に続くものなのかと言えば、その保証はない」とした上で、以下のように著者は述べます。

 

オリジナリティは素晴らしいものですが、職業として物語を量産する者が依存するにしては非常に不安定であり、危険だとさえ言えます。

そもそも、真にオリジナルな作品などというものは、この世に存在するのでしょうか。一体どれだけ存在しているというのでしょうか。誰も、ゼロから一を生み出してはいないのでしょうか。いかなる天才であれ、先人の作品から刺激を与えられ、影響を受け、学び、あるいは技を盗んでいるはずです。(p13)

 

また、「そもそもオリジナリティなんてものがもてはやされるようになったのも、最近200年ほどの話だぞ」ということも、著者は述べています。

 

本書で考えたこと

著者の問題ではないのですが、本書の大部分が数多くの物語に即して書かれていることもあって、文学的素養のない私には??の部分も多かったと思います。私の知っている物語で本書に登場したものは『ルパン三世・カリオストロの城』『タイタニック』『ダイ・ハード』くらいです。

 

おそらく著者の言いたいことだけまとめれば、200ページ超のこの本も、おそらく4分の1くらいにはまとまります。

 

作家が考えることは何か

ただ、私みたいに物語を書いたりすることにこれまで関心がなかった人間にとっては、勉強にはなります。例えば、物語作家はキャラクターとプロットを描いてから創作をスタートさせるようですが、そのようなことを私みたいな人間が習うことって、ないんじゃないでしょうか。

 

恐らくそういうのが好きになった人たちは、自分で学んで自然とそういうやり方を考えるようになって…というのができるのかもしれません。でもそうでなければ、学校などで勉強するのは「著者の言いたいことは何か?」という問いばかりだった気がしますし。

 

そのような人にとっては、「作家の脳って、こうなっているんだな」というのが理解できる気がします。

 

オリジナリティについて

また、オリジナリティについては、私もかねてからたまに疑問に思うことがあって、本書に書かれていることも「まぁ、そうだよな」と合点がいきました。

 

私は音楽のオリジナリティについて思っていたことがあったのですが、ミュージシャンでも「昔は〇〇の曲をよく聴いていました」なんて言っていたりします。

 

ということは、そのよく聴いていた曲の影響を絶対受けているはずだと考えていました。あるいは、聞きたくもない曲からだって、耳にした瞬間から影響を受けている、とも言える気がします(こんな曲は作りたくない、とか)。

 

また、曲のコードにだって、基本や定番があります。

 

じゃあ、どこからがオリジナルな著作物なのか。そんな風に考えていると、訳が分からなくなります。

 

そう言えば、ですけど、最近のJASRAC(日本音楽著作権協会)に関するニュースは、そんなオリジナル信仰が強まったことの現れ、と言えるのかもしれません。

 

JASRAC会長で作詞家の、いではく氏が、音楽教室からの著作権料の徴収方針について語っている記事です。

 

 いで会長は作詞について「絵空事では人の心を打たない。知識や経験、感情を投入し、身を削って書いている」と強調。ヒット曲「北国の春」は故郷、長野県の厳しい冬や小学校1年で亡くした父を思いながら書いたという。

 そうした労苦を経て生まれた楽曲をビジネスで使う際は著作権料を支払うのが当然、と主張する。音楽教室についても学校教育違って受講料を受け取るビジネス。どんなビジネスだって仕入れ原価はゼロではない」と話す。

引用URL:https://www.asahi.com/articles/ASL1S55W4L1SUCVL01J.html

 

パクリが良いことだとは考えませんし、そうした観点からの著作物の保護は必要な気がしますが、でも実際その自分の作ったオリジナルで、どれだけの法的な権利を主張できるのかと考えると、その土台は意外と脆いんじゃなかろうかという気もします。

 

いで会長は苦労してオリジナルを作られたようで、その点は感服いたしますが…。

 

本書をおすすめしたい人

かなり話が逸れましたが、『物語工学論 キャラクターのつくり方』は以下のような人におすすめできるかと思います。

  • 物語をつくる勉強がしたい
  • 文学部の学生
  • 単純に文章の勉強がしたい方

 

なお、私の読んだ本の中で2番目に読むのが大変でした…。

 

物語工学論 キャラクターのつくり方 (角川ソフィア文庫)

物語工学論 キャラクターのつくり方 (角川ソフィア文庫)